• 12/5 旅の途中

    入院から3日間は強力な痛み止めがあっても辛かったものの、4日目には一般病棟へ移りました。
    それからは、起床、朝食、午前のリハビリ、昼食、午後のリハビリ、夕食、就寝の繰り返し。
    リハビリでは縮んだ肺を拡げるべく深呼吸の繰り返しです。プラスして一日一万歩以上を目標にフロア内をグルグル歩くことも日課になりました。

    そんなルーティーンを繰り返すだけの毎日でしたが、色んな学びもありました。
    緊急処置をしてくださった主治医となる先生は、それからも朝に1回、夜にも1回、僕の様子を必ず病室へ診に来てくださいました。その日のレントゲンや僕が伝えた症状から僕の身体の中がどうなっているのか、安心材料を常に与えてくださいました。
    全身から感じる温かさと優しさがあって頼りになる素晴らしい先生だなぁと感心していたところ、その病院の院長先生だと知り、現場主義の姿に僕のあるべき姿を見たような気がしました。
    もしこの先生でなければと考えると目頭が熱くなります。

    そして、昼夜問わず奔走する看護師のみなさんの頑張りと優しさを肌で感じ、信頼できる理学療法士・作業療法士さんの元でリハビリをすることで、不安な日々を前向きベクトルに変えさせていただきました。
    その他、退院をサポートしてくれた方、検査、清掃、リネンの方など一人ひとりの支えがあっての病養生活だったと深く思います。

    そんな入院も11/19には肺の病症が落ち着き、ドレーンの管が抜け、翌20日の診察の結果、肩周りの擦過傷の兼ね合いで鎖骨の状態はそのままになりましたが、宮崎の退院が決まり、21日のフェリーに乗って翌22日早朝約2週間ぶりの帰宅となりました。

    さらに宮崎の出来事を支えてくれた縁の下の力持ちがもう一人。
    LOKOで出会って、お仕事の関係で滋賀県から宮崎県に転勤された仲間。転勤されたあとも伯方島のトライアスロンで年に1回はお会いしていました。レース当日も朝から応援に駆け付けてくれ、イレギュラーがあった当日から退院日のフェリーの出航まで沢山のサポートしてくれました。この方がおられたおかげで大変な出来事が和らいで、痛いだけの宮崎にならなくてすみました。本当にありがとうございました。